昭和47年07月18日 月次祭 二代



 月次祭を終わらして頂きました。今晩親先生達御一行は、西脇電御造営の関係でここのうきょうに乗っております、三和工業となんか特別な打ち合わせがありまして、佐世保の方まで行かれております。それが先ほど月次祭始まる直前に電話が掛かってまいりまして、こんな都合で帰られないと、あんたが祭主してくれともう本当にまぁわずかでありましたけれど、まぁ滞りなく終わらして頂きました。
 それでまぁおかげ頂きまして、只今月次祭をさして頂いて、こりゃぁもう月次祭と言うのは、今まで僕は何か教会が金儲けするために、月に4回もあるじゃろう、金儲けするために4回もさっしやる。こりゃもう5回でも6回でもいいと思いよったけれども。こりゃやっぱりあのうあるべきしてあるというのはですね、このお祭りと言うのは、丁度あのう最初の御祈念でその事を報告さして頂きまして。
 まぁ何も分らんまんまに今日この様に、18日の月次祭を仕えさせて頂きまして有り難うございましたと。いうことをお礼申し上げようりましたら、ちょうどあのう思わして頂くんですけど。この月次祭と言うのは、例えば私達が毎日お風呂に入るですね、で一日の垢を落とすようなものと言う事ですね。例えば月次祭から月次祭の間の垢を落として頂くような働きがあると言う事なんだす。
 ですからやっぱりこれはあのう頂かなければいけない事なんです。でなきゃ大体気持ちが悪いぐらいになきゃ本当じゃないと言う事ですね。月次祭とはなんだか一日欠かしたらもうこの世に明日をお互いがきますと、もう一日中あす向こう側へあんた気持ちが悪いと思うでしょ。それとおんなじで一回月次祭を欠かしたらもう気持ちが悪い、いう位なものがなきゃまだお互いが薄もん、信心が薄いもんだと言う事になると言う事ですね。その事を気付かして頂いて、これはもう有り難い事だと思わせて頂いたんです。
 昨日昨日からじゃない、もうここ一週間ほどですか、今丸小の方が8月の全国大会を目指しまして、当協会から初めてのブラスバンドの演奏が初参加を致します。そのためにチーフを中心に致しまして、それこそ10何人の者が一生懸命練習しております。その昨日始めて始めてじゃないんですけども、ちょっと夕方から練習しとりましたんで見さして頂いたんですけども。その練習しよるあのう様子を見さして頂いて。
 もう僕はちょっと見てすうっと帰ろうと思ったんだけど、動けない様な感動を覚えまして一時間ぐらいでしたですか、もうその演奏しよる様子をもう食入る様に見さして頂いたんですけども。子供たちがまだ2年3年ぐらいの子と一生懸命です。チーフのあのこうタクトを取るのを一生懸命見て、もう半伯でも一拍でも遅れまいとして、もう一生懸命叩いて吹いたりしておる様子を見さして頂いて、ほうぅ例えばあのう全国大会に丸小が出るちゅだけのこれだけの稽古をするだなぁと思わせて頂いた。
 これが例えば私たちが一生おかげを頂いていく元の信心の稽古をさして頂くのにどれだけの懸命さがあるだろうかと。例えばまぁ子供たちがあれだけ一生懸命だったら、もう夜でも夢の中にはブラスバンドの事を夢みよる子供が随分あるだろうと思う。力君なんか暇があったら「こうこう」あのう太鼓の叩く真似しよるですけんね。食事しながらでちゃこうこうやっとる、しかもこう本当にもうそれこそ負うた子に教えられると言う感じ致しました。お互いこうやって一生懸命信心の稽古をさして頂いておりますけれども。
 どこまで本気なものげあり、本当な信心の稽古だろうかと言う事を、改めて再検討さして頂かなければいけないと思わせて頂いきます。今朝ほどから原さんからお届けがありました。原さんがそうですね10、もうおよそ20年近くの信心でしょうか、始めてここ一年ぐらい」本当の信心に気づかさせて頂きよるという気がすると言う事です。そうお届けを聞き、本当ですね原さん3年5年んの信心では迷いやすいと、10年の信心が続いたら和賀心を奉れと言うあの御理解がありますって。
 原さんが今気付いた信心から10年続いて初めて和賀心を奉れる信心になると言う事です。教祖が言われておる10年の信心と言う、出発点と言うのは和賀心を奉ると言ういわゆる自分の心を拝めれる様な事に方向に向いとる時から、10年なんですよね、ですからまぁ言うちゃ悪いけど原さんのなら、過去の信心が本当のようだったけれども、やっぱりおかげ目当ての信心であったんだろうと思う。お願いすりゃ助かるという信心だったんであろうと思わして頂いた。
 原さんにして初めてその事に気付かして頂いとるちゅう事ですから。ましてはなら私達が信心しょる様で、果たしてどのところに焦点を置いて信心しよるかと言う事ですね。これだけの親先生から毎日毎日の御理解を頂いて、しかも改まれ磨けという御理解を頂いて、こげに改まっていない私し、こげに磨かれていない私し、一つも和賀心になろうと精進してない、こんなこと言ったら叱られる。精進していないとしか言えない様な事が、日常茶飯事の中に起こってきておる。
 些細な事に腹かいたり、不平不足を言うたり、これはまぁ私の事ですよ、言うてみたり、ちょってした問題が起きて来るともうどきどきしたりしとる。この事を思わして頂いて、こげんあんた本当は信心もさして頂くと言う事を、教祖は信心とはみやすいものじゃがと仰っとる。そのことに気付かして頂いたらみやすいんですね。原さんがこれからみやすくなられろうと思うです。
 おかげもそれこそみやすう道もついいて来るだろうと思うです。だから原さんからこれからは、原さんの信心をおおいに私は期待しますよと。言った事ですけれども。確かに期待するべき事があるだろうと私も思わせて頂くんです。その事に気付かして頂いて始めて信心さして頂いておるちゅう事になると思うんです。ですからそこになりますと信心が、こりゃ2,3日前の親先生の御理解じゃないですけれど、中途半端ではいけない、合楽の方が皆んな中途半端だと。
 今年の夏期信行はまぁ今年で3年目ですか、迎えさして頂いて始めて今年ほどあのう熱の熱の入らんち言うちゃいけんですけども。まぁ熱は入ってるですけれど、御祈念しょってなんとなく実感的なものが無い、無かったんですが。今日は今年始まって以来最高に暑い日だったそうですが。まぁその通りでもうここに座っただけで汗がじゅうっとこう噴き出すくらいだった。で天津祝詞をぼつぼつ上げさせて頂きょたら、汗がタラタラ流れ出してですね。
 ほんでもうモヤモヤしてからしてきましてね、もうこのやろうと思うて一生懸命あげだしょったら、初めてこう本気本調子になりだしたんですよ、ですからハマると言う事、中途半端なしよったらしろしいなぁと思うです。大概で早う終わらかしていっちょ水でもかぶろうかと思うんですけれど、汗をじゅっくり掻かせて頂くと、こりゃ本気であのう大祓いをいつの間にかあげとる。
 嘘を言う様で例えば丸小の人達これが、これが例えなら今の本気で打ち込んどるから、あの様な事が出来るんだろうと思うんですけれども。これが中途半端だったらとてもあれだけのハマった事は出来ないだろうと思うですね。学校から帰って来たら、もうつぅっと教会へ来て、それこそ楽器を一生懸命いじくって練習しておる。昨日の朝の御理解に親先生の御理解は、信心しておる者はこれから先どの様な事が起きってきても驚いてはならぬと、言う御理解を頂きました。
 であの御理解を頂きましたんで、あの御理解を頂くと必ずその日に、それこそアクシデントが起きてまいります。こりゃあぁたどう言う事が起きて来るであろうかと思うて内心ちょと心配だったんですけど、一日何事もなくおかげを頂いたんですが。人があって一日が終わってその晩が編集、今度の記念品の記念出版として親先生の講話集が出来ますので、その講話集の記念の出版を皆んなでさして頂きょりましたら、けたたましゅう電話が入りましてから私にちゅう事。
 電話出ましたらその方が、若先生助けて下さいと電話の先でわんわん泣かっしゃる。はぁそれこそその時は僕も朝の御理解ころっと忘れて、それこそどしっとさして頂いたんですけれども。やぁまぁいろいろお話聞かして頂いて、やっぱ親先生にそのこと報告さして頂きましたら、あぁやっと今朝のご理解の答えが出ましたねっち。言われてそれを聞いてこっちはまぁ安心させて頂いて、その方をその事をその電話のかかってきた方に申し上げました。まぁその事でまぁ何となくおかげを頂いたんですけれども。
 例えば親先生の毎日の教話と言うのは、もうこりゃ神の田地ですよ、やっぱり神様のお言葉として頂かにゃ勿体無いですね。親先生と言う方は本当にあのう不思議な方でえ瓢箪鯰の様な方だと言われるんですが。例えば親先生ちゃたいした事ないよと思うと、ほんとに大した事のない親先生にならっしゃるですね。親先生ちゃ素晴らしかね神様のごたる人ねと思うと神様にごとならっしゃるですね。こりゃもうお互い体験さして頂いとる事だと思うんですけども。
 ですからせっかくあぁやっぱり神様と頂かにゃ損ですね。神様と頂くと神様の働きをして頂くんです。ですから本当に神様親先生神様だとおらんからおだてとる訳じゃない。本当に神様だと思わせて頂くとですね、もう特にここ最近その事を実感さして頂くんですけど。私し達が信心の稽古をさして頂いておるのに、これあのうあく無し信心をしておると言う事ですね。先日から親先生がお夢の中に、御霊様が合楽の過去亡くなられた御霊様が、あのう出て見えましてね。
 ちょうどお広前でちょっと円を描いた様にして、親先生を中心にして信心の共励会をなさっておられる。たんです、の様子ですがその中にあすこの西崎の高山さんと言う方が、親先生私はあのうまぁ一生懸命信心さして頂いた積りですけども、結局私の信心は的無し信心でしたって、親先生にもう訴える様にしてあのう親先生にお話ししてくれるところを、あのう御心眼に御心眼じゃない、御神夢で頂かれたと言う事をなんですけれども。こりゃ私たちの信心が、言うならば的無し信心をしておる。
 ちょうど弓矢を稽古さして頂くのそれこそ、あっち向きこっち向きで練習さして頂いとるから、例えば私しあすこならあすこと言うて、一生懸命練習さして頂きょんなら、暑さしのわざわんでも、だんだんその方に近くなって来るんですけれども、こっち向いたりこっち向いたりしてしょるもんだから、一向に10年しても20年しても信心が上達しとらん、その稽古は上達しておらん、言う様な悲劇はないだろうかと思うです、これは全く悲劇ですよ。
 ですからそれこそ過去10年も20年も信心さして頂いてですね。いよいよお国替えちゅ時になって、過去の信心が間違っとったと言う様な事がないように、信心さして頂きたい。最近ある事を、ある事と言うかこの頃親先生が、ちょっと体の具合を悪くなさいまして、ちょっと危篤状態に陥られた事があるんですけれども。その中に私に対しての御理解が幾つかありましたので、私を呼ばれてお話頂いた中に、大体は今日はもう一口でお話終わらして頂きたいと思ったんですけれど。
 まぁ終わらして頂きますが、まぁこれからの私の信心の一つの目標になる事があると思うんですけども、あまりあんたはあのう話をしないがいいちゅことなんです。ですからこりゃまどう言う事だろうかと思うんですけれども。おかげを頂いて3代金光様のごと、「はい、はい」だけで人が助かる様なおかげになってこなけりゃ。まぁそう言う事になってくりゃ最高なんですけど。まぁそういうおかげを頂きたいと思うです。この方の道は話を聞いて助かる道と言う事が。
 話をあんたは、今の段階だろうと思うですけども。しないで良いと言う事です。まぁどういう御神意なのかわかりませんが、その事をですので、まぁこのくらいに終わらせて頂きます。一つまぁ原さんじゃないけれども、丸少の方じゃないけれども、まぁ本当にあのう改めて信心の目標と言いますかね、親先生いっつももう毎日毎日僕もこの説教台に立ったらこの事しか言わん。親先生はもう改まれ磨くと言う事しか説きょんなさらんと言う事なんですね。
 だからそこに焦点を置かして頂いて、その事に本気であのう取り組まして頂いて、家庭の中が家庭が不和の無きが元なりいわれるのが、金光教のお教えなんだから、親先生はそのことだけをお説きになっておるんだから、家庭の中に不和があると言う事は信心しておらんと言う事ですよ。お互いに。信心のするのが全然間違うとるということですよ。問題が起きて来た時にもう言い訳したって。したり不安がおこったり心配したりしとる時にゃ。もう絶対私達信心しとらんとちゅ事です。
 ですからもうこの事だけではまぁすっかりあのう腹に肝に命じて頂きたいと思わして頂く。まぁこの事だけを申し上げたいと思わして頂いたんです。まぁ余談が長くなりましたんですけど、どうぞお互いにそのところにおかげ頂きまして、信心の稽古さして頂きたいと思います。
   どうぞ。